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2011年05月 アーカイブ

今日からブログを始めてみました。

こんにちは。


ここでは私の趣味であるクルマについてを中心に書いていくつもりです。


また、中古車情報などもあわせて紹介していく予定です。


ブログというものは見る側であっても自分が書く側になるとは思いもしませんでした。


いろんな方の意見を総合した結果、ブログを始めてみた次第です。


・・・どうぞよろしくお願い致します。


では、まずマツダの話からはじめたいと思います。


昭和35年の元旦、当時のマツダの恒次社長に西ドイツから一通の航空便が届きました。


差出人は西ドイツで機械関係の商社を経営するフォルスターと言い、東洋工業の先代社長松田重次郎と親交のあった人です。


ドイツ語でタイプされたその文面は、NSU社とバンケル博士が共同開発したロータリー・エンジンは画期的なものであり、これと技術提携して、実用化を図ってみてはどうか・・・


その気があれば仲介の労をとるとの親切な助言がしたためられていました。


「この話に乗ってみよう。」


・・・恒次社長の頭にひらめくものがありました。

ロータリー・エンジンの着想

ロータリー・エンジンの着想は古くからありました。


夢のエンジン、画期的なエンジンとして、世界中の自動車メーカーが注目しているものです。


このエンジンの実用化に成功すれば、東洋工業の技術は一挙に世間の信頼をかちとることができ、知名度もあがります。


その技術評価を武器に、とりあえずはレシプロ・エンジンの小型乗用車を売りまくります。


小型乗用車は中古車情報も多く、一般消費者に人気が高いのです。


後発メーカーのハンデはたちどころに解消し、総合自動車メーカーの道が拓けるでしょう。


昭和35年9月30日、恒次社長は西ドイツに飛びました。


東洋工業にとって諸刃の剣となるロータリー・エンジンとの取り組みはここから始まるのですが、そのドキュメンタリーは40年代のテーマにゆずらねばなりません。


ひところ『企業の寿命は30年』という話題が、よく人の口の端にのぼりました。


この場合の『寿命』とは企業存続の期間を指すものではなく、『業績好調の期間』を意味します。


この見解の確率性とか、立論の根拠については、わたしも知るところがありません。

萌え出ずる芽

東洋工業の山あり谷ありの社歴を見ると・・・


なぜか前回述べたような見解にも一理あるように思えてきます。


東洋工業が経営の危機に見舞われたのは昭和40年代の後半の時期です。


その危機を乗り越えたあとの同社が、旧に倍する業態を構築し、今や名実ともに総合自動車メーカーの企業展開を実演していることは大方の知るとおり・・・。


しかしここでの目的は、30年代の10年間にデビューしたニューモデルを中心に、合わせてその時代背景や企業動向、登場人物を及ぶかぎり検証することにあります。


・・・したがって40年代以後の事象については言及しないことを建て前としています。


いずれ相当の年月の経過を待って、あらためて40年代以後の昭和史にとり組んでみたいと思っています。


マツダ・ファミリアセダンがデビューしたのは39年10月のこと。


もうすぐそこまで、40年代の足音が聞こえてきたときです。


この年にデビユーしたニューモデルと言えば、4月のクラウンエイト、5月のスカイライン2000GT、6月の三菱デポネア、9月の日野コンテッサー300クーペがあります。


さすがに最近の中古車情報でこれらの車種の名前は出ませんね。


マツダ・ファミリアセダンは30年代最後を飾るモデルとして登場したことになります。

自動車業界から見る日本経済

昭和39年という年は、経済・社会の面でも特筆に価いする変革が見られた年です。


それはここまでの日本と、この年以後の日本の間に、太い線で仕切るほどの変貌があらわれたことを意味します。


自動車業界は経済・社会の動向に対して、最も敏感に反応する業種です。


その意味でも見逃せない変革の幾つかを、ここにとりあげておきたいと思います。


まず第一にあげたいのは、日本は4月1日から国際通貨基金(IMF)8条国に移行したことです。


この8条国への移行によって、日本は国際収支が悪くなっても為替取引を制限することができなくなり、円は世界の主要通貨とならぶ交換可能通貨となりました。


・・・さらに4月28日、経済協力開発機構(OECD)に正式に加盟。


日本は本格的な開放経済体制にはいりました。


このIMF8条国への移行とOECD正式加盟とにより、日本は国際経済社会に仲間入りをしたのです。


思えばこれが経済大国へ発展する第一歩の行動でした。


このころから少しずつ、中古車の情報なども増えて経済が活発化していくことになります。

自動車依存度の増大

9月5日、名神高速道路の愛知県一宮~岐阜県関ヶ原間34㎞と、兵庫県尼崎~西宮間7㎞の開通式が行なわれました。


これで名神高速道路は全区間の96%、約181㎞が完成。


実質的に全通のはこびとなりました。


中京と阪神の両経済圏は日本最初のハイウェイによって結ばれ、両経済圏の時間的距離は約半分に短縮されました。


これにより交通、物流の自動車依存度が飛躍的に増大したのはもちろん、同時に中古車情報の多い国産車の弱点とされた高速性能の向上に貢献しました。


10月1日、東海道新幹線開業。


東京~新大阪間を4時間で結ぶ大動脈が完成。


1年後には3時間10分に短縮されました。


これにより、東京~大阪間のビジネス旅行は容易となり、経済活動に大きな変化をもたらしました。


このできごとは、歴史的には日本の政治、経済、文化への影響度において、驚天動地の形容に価いする価値ある変革でした。


ただその渦中に生きる当世代の人々が、文明の恩恵に慣れすぎて、新鮮なおどろきを感じなくなってはいましたが・・・。


国際化の洗礼

10月10日、第18回オリンピック東京大会が開催されました。


アジアで開かれた最初の大会で、参加94ヵ国、世界の選手5541人を数えます。


日本全体がオリンピック景気に湧いたのです。


国立競技場、武道館、駒沢競技場、国立室内競技場が建設されました。


また前述の、名神高速道路、東海道新幹線などのほか、東京モノレール、首都高速道路、地下鉄各線、数多くのホテルの建設が進められ・・・


これらは東京オリンピックで来日した数万人の外国人の眼に、近代国家日本の姿として印象づけられました。


日本の国際的地位の復活は、この東京オリンピックを頂点として実現し、これを境に、日本は経済大国への進路をひた走ることになります。


国情はまさに一変しました。


変化の様相をひと言で表現するなら、日本の社会全体が、みずから国際化の洗礼を受けて立ったといえるでしょうか。


中古車情報などを扱う自動車業界とて例外ではありません。


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