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2011年07月 アーカイブ

マツダ・ファミリアのバックグラウンド

ダットサン・クーペ(1595㏄、翌年ニッサン・シルビアの名で市販開始)、いすゞベレット・1500クーペ、ベレット・1600GT、トヨタパブリカ・コンバーチブル(697㏄)、ホンダスポーツ600・・・


それに前年発売のダットサン・フェアレディー500など、これらは間近に迫る大衆モータリゼーションの到来と、それにともなうオーナーの個性化志向に備えるものでした。


富士山の秀麗な山容は今も昔も変わりませんが・・・


人が住み、人と人とが織りなす下界のさまは、日に月に変貌してとどまるところがありません。


移りゆく世の姿を変化と見るか、進化と呼ぶかは人によって意見もあるでしょう。


それはそれとして、動いてやまない歴史のなかで捉えた昭和39年の日本の諸相が、ようやく出番を迎えたマツダ・ファミリアのバックグラウンドです。


このときにはまだ中古車情報も少ないものでした。


昭和50年に日産の九州工場(福岡県刈田町)が建設されるまで、広島の東洋工業は日本の最南に位置する自動車工場でした。


首都圏に最も遠い自動車工場でありながら、業界内では最もニュースの焦点に登場するめぐり合わせを持つ工場であったとも言えます。

広島の星

思いをめぐらせば昭和40年代の後半からの10年。


オイルショックがもたらしたロータリー・エンジン車への不評に端を発して、東洋工業の経営基盤は揺れに揺れました。


その危機を乗り切る経営策の蹉跣、住友銀行の救済乗り出しとフォード社との資本提携など・・・


松田恒次社長亡きあとの東洋工業は存亡の剣が峯を歩きました。


全社一丸となっての再建の努力が実を結び、暗雲は去りました。


今は社名を『マツダ』に改め、遠くアメリカにも工場進出する発展ぶりで、Z旗をかかげた歳月のあとは、みじんも残っていません。


東洋工業が現社名のマツダ㈱に改称したのは昭和59年5月1日のことです。


大正9年1月に東洋コルク工業として発足、昭和2年、社名からコルクの文字を削って東洋工業と改称。


それから57年の星霜を経て現社名のマツダとなります。


いまではマツダの乗用車の中古車情報も数多いですね。


マツダの乗用車第1号は昭和35年5月に発売した軽規格モデルのマツダR360クーペでした。


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